どうやって跳ぶの!

30を過ぎてるし無職だしどうすっかな

有安に希望を乗せて(18/1/21)

つくづくドラマが好きなようである。

今期はドラマがどれもこれも面白くて忙しい。

が、今わたしの頭を占拠しているドラマはそれらではなく。

有安杏果が抜けるももクロ、のこと。

 

急にこのタイミングでももクロって、節操が無いようだが、実は数年前まで2年ほどももいろクローバーZのファンクラブに入っていた。

そのファンクラブの3回目の更新は、わたしの心がSMAPに引き戻されたことで行われずに今に至っている。

モノノフ歴は3年ほどだった。

さすがに今日ばかりは、かつてのグッズをあちこちの引き出しの奥から引っ張り出して着用し、可愛い緑のあの子の旅路を見守っていた。

元箱推し(特定の推しを作らず全員を推すひと)なもので、グッズも全色入っているものばかりである。

ペンライトだって5色のグラデーション。

グレーにレインボーのロゴに、ファンクラブ限定パーカー、出席番号6のナンバリング入りマフラータオルを身に着けて、久しぶりに彼女たちの楽曲を再生した。

わたしがファンになった頃には既に、青色担当早見あかりが脱退し、いろんな苦境を乗り越え、その代わりに多く仲間を増やし続けている最中だった。

ありがたいことに現代では、抜けたメンバーがいた頃や脱退時の映像をあとから追体験することが出来た。

彼女たちはとても幼い少女たちで、それなのにアウェイにとんでもなく強く、見てしまったものをどんどん仲間に取り込んで更に強大になっていくハーメルンやルフィのようなアイドルグループだった。

そんな中学生や高校生だった彼女たちが今や、恒例の自己紹介で25歳だとか22歳だとか言っている。

歌唱時の表情や身のこなしが、大人の女性になっていた。

だけど、一向に変わらない気配。

とにかく明るいオーラ。

ももかの目の前をぶっ飛ばすような歌声。

れにちゃんの繊細かつ人たらしな笑顔。

しおりんの賢明で空気をつかむ眼差し。

あーりんがおバカを演じて和ませつつ実は切り込んでいく姿。

そして、より頼もしくなったかなこの背中。

 

ひとりづつの個性や細かい出来事を知ってしまっているから、ひとりづつの気持ちに思いを馳せてしまいます。

歌唱についてはももかが大きな柱だったがために、これからのパフォーマンス、これまでの素晴らしい歌、どうなってしまうんだろうとファンも、きっと本人側も戸惑っていることでしょう。

そして、そんなこととっくにわかっている有安。

とにかくとにかく、ライブで寒がってる客はいないか、見えてない背の低い人はいないか、いつまでも気にかけてくれる彼女が、メンバーの人数が減って大変なことをわかっていないわけがない。

それでも、自分の人生をしっかり考えて踏み出す決断をしたんだね。

聡明な女性だ。

周りに気遣って自分の意見が言い出せないで、周りにいつまでも流されてしまうものなのだよ、普通は。

でもそれは、自分の題字にしてくれる周りの人にとても失礼だということも、自分にも失礼だということも知っているんだね。

 

なんて。

こんなふうにひとりごちて、アイドルにドラマを重ねてしまうのは、結構悪い癖だと思っているんだよ。

自分が彼女たちの立場だったら、あんまり詮索して勝手なわたしをつくりあげないでくれんかのぅと思ってしまうんだよ。

いや、アイドルって職業についてしまったらそんなことは言えないのだろうけど。

あまり人の人生を自分の好きな妄想で理解しないようにしなくてはいけない。

言えないこともいっぱいあるだろう。

それもこれも胸に、わたしのアイドルだった人たちにはみんな、幸せであってほしい。

大きなお世話だろうけど、それがわたしにも幸せなんだよ。

よろしく頼んだよ。

 

 

わたしと白湯のはかない距離(18/1/20)

ラピュタという名前のかっこいい映画館で、エノケン主演の喜劇を見たあとインド料理屋でカレーを食べて、その後喫茶店でコーヒーを飲んで夕方解散。

半日でヘロヘロになり、家について床に崩れ落ちたらそのまま起き上がれなくなってしまった。

風邪は良くなったのだが、不思議な体の不調が続く。

先週末のバイト後に同僚と喫煙所でタバコ2本吸いつつ談笑していたら、みるみるめまいと吐き気が広がって、バレないように貼り付けたような笑顔でトイレに行って吐いた。

翌日からだるさが強くなって、立ち上がるのがしんどい。

その他、水分を摂っても摂ってものどが渇いている気がする、お腹は空いてないけど食べたい、頭痛、目の奥のだるさと言うようなな内側の違和感と、

ひとつのことが続かない、何かをしようとしても(料理、お風呂、買い物など)できる気がしない、という集中力がいつにもまして低下している実感がある。

この絶対的な不調ではないが、なんだか変な体の変化に戸惑っていた。

今日はさすがにおかしいと思っていろいろ調べてみたら、どうも副腎が弱っているようである。

腎臓の上に指サックのようにちょこんと乗っかっているのが副腎だそうだ。

おもに血液内の濃度とかホルモンだとかそういったバランスを取ったり、あとは抗ストレスの成分を分泌する臓器だとのこと。

たしかに最近しょっぱいものが異常に食べたくて、ポテコばっかり食べていた。

塩分の摂りすぎ。

調べていると思い当たるフシがたくさん出てくる。

そしてその原因を奥に奥に探っていくと、ひとつ大きな可能性が出てきた。

白湯の飲み過ぎ。

 

何を隠そうわたしは白湯大好き女である。

健康に良いらしいとかそんなことひとつも考えていない。

ただただ「味」がうまくて去年からハマってしまった。

しかし今回調べてみると、白湯は一日700ml程度がいいらしい。

なんで!!

水は2L飲めというではないか!!!

家にいるときは白湯白湯。

外に出たら水筒に白湯白湯。

いつでもどこでもぬるい水を飲んで喜んでいたんだよ。

 

それがどうも白湯は吸収が良すぎるため、飲みすぎると血を薄めてしまうらしい。

こわい!!!

 

白湯の飲み過ぎから、それを簡易的に補おうとした食事や風邪で適当な生活をしたことなどが組み合わさって、副腎さんを疲れさせてしまったようだ。

すまない副腎よ。

 

しょうがないから今。紅茶を入れました。

白湯とは良い距離を構築しなければなりません。

 

さよなら、

お白湯。

愛しているよ・・・。

 

 

納豆はあたまにいいか(18/01/19)

朝ごはんは7日に5回くらいは納豆ご飯を食べている。

貧乏の為、一番安い納豆を選んでいるからなのか思い込みなのかは知らないが、納豆の味が粗いように感じる。

毎日食べるので、そう思ってしまってはまあまあきつくなってくる。

そして「まあまあ」の入力にすこし手間取った。

何度もmamaと打っては消して、mama、たまにmamaaとなり迷宮にハマってしまった。

母音のあとは子音が来てくれないと調子が狂うではないか。

納豆もあまり美味しくない上に単調が続くと調子が狂う。

我ながら意味の分からないもとの流れへの戻し方をしている。

ただただ納豆には、友人から地方土産にもらった青柚子胡椒とごま油を垂らした、毎アレンジ納豆を食しているという話がしたかっただけなのに。

 

テレビではクイズ番組が隆盛をむかえている。

わたしには子供の頃から謎の反体制リンパのようなものが流れているのでエリートに対して偏見がある方だったが、

最近、クイズ番組での高得点のタレントや物知りうんちくおじさんタレントを見ていると、じぶんがぼんやりしている間に目を輝かせながら知識を取り入れてきたんだなこの人達は、と想像を巡らせて降伏してしまうようになった。

物事の由来がわかっている人は応用が効く。

高学歴の人は、セルフマネジメントがとても良くできている。

もともと「学歴の高い人は、何も知らない」というわたしの思い込みがあったが、勉強してきた人は本当によく知っている。

まずわたしのわかりにくい冗談の汲み取りが早い。

いつだって説明不足の冗談にもコミットが早くてとても助かる。

ありがとう、頭の良いひと。

好きです、頭の良いひと。

そうやって、己を卑下し始めたら思い出す言葉がある。

 

「大学出たやつにろくなやつはいない」

そう。

キヨシローは言っていた。

 

ありがとう、キヨシロー。

大好きです、キヨシロー。

やっぱりKINGがいちばんえらい。

年頭の会話(2018/1/12)

今年の目標を聞かれた。

国民の年頭行事であるこの問いかけに、人々はどんな会話を成しているのだろう。

日本中の教室や会社、街角でお天気の話の代わりに他愛なく話されているんだろうか。

お台場のインスタ映え映えおっしゃーパンケーキにナイフを入れながら、わたしは女友達とこの話題にたどり着いた。

わたしはそういった定形の会話が昔からどうも苦手だった。

そんなひねりのない質問を口から出していいのだろうかと、なんともまあ難しい少女だだ。

考えすぎて挨拶も苦手だった。

「おはよう」

なんて、昨日も発したはずなのに。今日も同じセリフでいいのか・・・。

「おはよう」

と言うと、相手がこちらを向いて返事をするのも苦手だった。

他人に自分を認識してほしくなかった。

こんなにも自意識で体内が真っ赤になっているのに、他人に存在確認されたくないとは何事か。

思春期とは大変不可解なものだと思う。

理にかなわなくて、遠回りで、無秩序なのが思春期というものなのか。

 

話を戻そう。

わたしにはそんな思春期の頃から出来ないことが多すぎて、昔から目標が苦手だった。

 

ハードルの乗り越え方もわからないし、未来の約束もできない。

だから毎年『早寝早起き』的な叶ったところでどうしょうもない目標を、なんとなく紋切り型に準備しては3日で忘れていった。

または、『100万貯める』のような自分を相当に削らなければ達成できないものを掲げて苦しい思いをしてみたり。

下手だ。

前に進むのが下手なのだな。

だいたい振り返ってみると、「自分を削ることで生きてる気がする」という昭和のまやかしに捕らわれた古い思想の持ち主に違いなかった。

 

最近やっと前への進み方がわかって来たように思う。

なりたい未来を想像する。なりたい自分の性格をイメージする。取り囲んいてほしい人をイメージする。それに近い人になる練習をする。

やっと要領を得ましたですよ。

皆さんはいつそれを体得してきたのでしょうか。その辺に関しては、つくづく、もっとスポーツをしてくればよかったなぁと思ったりもする。

 

それを踏まえて。

わたしの今年の目標は「人の幸せを素直に喜べるようになる」です。

 

インスタ映えパンケーキについては、大量の生クリームに打ち勝てなかったのだけど、友人との年頭行事の会話に今年は無事答えることが出来た。

 

目標の日々達成率は、まだまだ半々といったところなのだが。

無敵な赤子と親になれない大人(2018/1/8)

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実家がやってきた。

年末年始は皆、親元に帰ったりしているようだが、わたしは金がないので帰れない。

適当に過ごしていたら、実家のほうがこちらにやってくるという電話があった。

甲斐甲斐しく面倒を見ている赤子を見せたいということだ。

 

わたしが中学生に上がった頃に両親が里親になった。

養子縁組をするのではなく、児童相談所から委託されとある期間を我が家でこどもが過ごすというタイプの里親だ。

1週間程度のこどももいれば、小学1年から18までウチで過ごしたこどももいる。

その18歳が卒業していったことで、去年の春先から里親はお休みすると聞いていた。

しかし昨夏、急遽生まれて2週間ほどの乳児の受け入れ先が必要となったことでなし崩しに里親を再開することになった。

赤ん坊に目がない両親には好都合だったのだ。

両親はアラ還となり体力的にもこどもの面倒は苦しくなった。

母は足と腕を痛め杖をつき、父はうつをやって仕事を休み休みだ。

しかし、老いてきたからこその赤子の存在は瑞々しく、活力を与えている。

父の方は大学生の頃、乳児院保父さんのアルバイトをしていたほどだ。

小さければ小さいほどたまらないのである。

 

この赤子の母親は、産後の調子が悪く、この期間だけ我が家にこの子がいるとだけ聞いていた。

その後一度実母が引き取ったと落ち込んだ様子でわたしの父から聞いたときには、「ほんとうのお母さんのところにいけてよかったねぇ」とわたしは返事をした。

どこまでいっても他人の子供である。それを忘れてはいけない。

しかし数日後実母の「やっぱりお母さんやめる」というセリフとともにこの赤ちゃんが我が家に帰ってきたそうな。

このセリフにわたしは大笑いしてしまった。

やめたくなったときにやめられて、赤ちゃんも受け入れ先があってよかったね。

これがわたしの素直な本心だ。

ご時世的に大バッシングを受けそうな感想である。

 

わたしの両親は里親を始める前から、自宅にてベビーシッターなどをしていたこともあり、よそのこどもが常に家にいた環境だった。

そこでわたしがすくい取ったのは、「得意なひとがやればいいじゃん」というスタンスである。

共働きでこどもを見れない時間帯があるなら、こどもが好きで時間が空いている人のところに行けばいいじゃん。

子育てが苦手なら、子育てが好きな人に手伝ってもらえばいいじゃん。

 

今の時代、虐待の種類はネグレクト(放棄)が圧倒的に多いのですが、つまりまぁ、みなさん育て方がわからんのですよね。

学校で習うわけでもないし、テレビでやっているわけでもなくて出来るわけがないのです。

夜3時間おきにこどもが起きるって聞いてないし、なんで泣いているのかわからないし、だけどお店や電車でうるさくしてはいけないし。

 

現在両親が面倒見ている赤子の件については、一番どうにかしなければいけないのは「お母さんをやめた」女性の生きる環境だと思う。

40歳を過ぎての出産でうつ持ちのため、いい大人に生き方を矯正させるってのもなかなかできることではないと思うけれど。

この親子にとっての本来の幸せはやっぱり実母と実子が一緒に気持ちよく成長できることのはずだから、こどもの世話ばかりでなくうまく親になれない大人のフォローも社会がどうにかしていってあげなきゃいけないのだと思う。

現在、その親のフォローをする仕組みが無いからわたしにできることはないと思いつつも、そんなこと行政に任せなくてもわたしたち民間レベルの大人同士で支え合えたらいいのにね。とも思ったり。

 

とまぁ、あれこれ思いを巡らしつつも、両親はせっせと赤子の世話をしては幸せそうだ。

わたしが産む気配はなかなか無い。

わたしからしたら、自分の生活も全然ままなってないのでそれどころではないんだ。

と言い訳しつつ、わたし部屋にやってきたこの子を抱いていると満たされた気持ちになる。

あったかくて率直で、こちらの都合は関係ない赤ちゃん。

わたしもかつてこんなに無力で傲慢だった。

父も母も。

 

こどもは社会全体で育てるものと思ったけど、結局年齢には関係なく、他人同士も支え合わなければ、社会は成り立たないのだぞってことか。

 

なんだ、ただの水たまりじゃないか(2018/1/5)

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今、「魔女の宅急便」がテレビで流れている。

ジブリの中でも子供の頃に始めてみた時の記憶がよく残っている作品だ。

とにかくずっとずーっとヒヤヒヤハラハラしていた。

飛び立ったら雨は降るし、降り立った街は人々が冷たいし、ジジは意外と頼りないし、働き始めたら飛べなくなるし。

シャレた世界観に引き込まれながらも、「次はどんな嫌なことがあるんだろう」「この人はいい人?悪い人?」ってずっと心配していた。

とはいっても、久しぶりに見る。

今日は風邪を完全にぶっ倒してやるつもりでさっさと眠ろうと思ってたのだけど、あらら始まってしまったらもうだめだ。

両親が里親をしている関係で、わたしが小さな頃から家には他人の子供がしょっちゅう入れ替わり我が家にいた。

3歳くらいから9歳くらいまではジブリかディズニーのビデオを流しておけばたいがい静になるものだから、日中は連続上映となる。

そんなわけだからわたしまでさんざんこれらのストーリーを何度も追いかけることになるのだ。

 

実家を出てから久しぶりにキキちゃんの大冒険を目の当たりにする。

沁みるなぁ~~~~。

特にオソノさんが出てくるたびに泣いてしまう。

キキちゃんが魔法を失ったときには胸を削られるようで。

13歳のキキに34歳のわたしを重ねると言うのは一体何なのだろうか。

きっとこれは子供の頃には感じ得なかった感覚だけど、子供の頃に出会えておいてよかったなと思う。良い時代に生まれたもんだな。

 

昨夜、思いがけず父と長電話をしてしまった。

日程の確認の電話だったのだけど、わたしの風邪の調子はどうかと聞いてくるから、とうとうと話し始めたら長くなってしまった。

最初はここが痛くて、そのあとこうなって、病院行ってこうなってこういう薬をもらって、とまるでこどもみたいに。

お医者さんに旨く伝えられなかったことを取り返そうとしたのか、何なのかはわからないけどやたらと話し出してしまった。

父は珍しく、「うんうん」と話を聞き続けてくれた。

そのことに気がついてちょっと恥ずかしくなり、そしてちょっと泣けてしまった。

 

わたしはいつまで物語の主人公で居続ける気でいるのだろう。

恥ずかしくて情けなくて隠れてしまいたい。

ジジだったらなんて言ってくれるのだろう。

 

「そんなにみんな君のこと、見てないと思うよ」かな。

 

大吉の行方(2018/1/3)

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なんとおみくじをやるお金が足りなくて、連れに恵んでもらった100円で大吉を引いた。

病気 回復する

とのことで、なによりなにより!!!ありがたい。

一緒に行ってくれて、お金を貸してくれたお友達はずっと心ここにあらずな感じで遠い目をしていた。

わたしはずっと喋っていた。

喋らなくなりたいといつも思う。

 

明日は病院に行ったほうがいい。

1/4に開いてる近くの病院を探さねば。

お金がほんとうにもう無いから、ちょっと考えなければ。

 

おやすみ世界。

今日はもうおやすみ。