断捨離の本質とは(しっかりたべれば福)
私の場合は一週間。
あなたはどのくらいでしょう。
3日?
その日の内?
もしやその場で?だとしたらうらやましいなぁ~。
わたしは少なくとも一週間はグズグズします。
なにかあった場合、その場ですぐ切り替えられるタイプではない方。
そのかわり最近は何故か一週間経つと急に力が抜けていくのです。
「なんとかなるよ」と口にしつつ
「どうするの?どうするの?もう終わりだ」と心のなかで大戦争。
それでも、どんなに空っぽでも「なんとかなる」と口にしないともっと深みにハマりそうで、必死に前向きなことばを拾っては組み合わせて、心と反対のことばを口から出すのくりかえし。
しかしながら、この世紀末感はさすがに既視感があるんだな~。
なんだかんだ齢30も少し過ぎますとどんな修羅場も新鮮味がなくなってくるもんです。
そう、あわてなくなります。
あとはあんまり一人で考えすぎるもんじゃない、という過去に手に入れた教訓も生きてきます。
ガッツリ自分の枠の中ではまり込んだら、できるだけ人に会っていろんな話をするといいもんです。
だから他愛のないはなしができる友人は宝。さいきんは身に染みて感じます。
あーほんと、お金ない。
だけど、会社にがんじがらめになっている友人からは、わたしが羨ましく見えるようだし、角度によってほんと見え方が違うから、別の「眼」って本当に面白い。
ものづくりに没頭して個性至上主義だったあの頃、フリーターの自分にプライドを持っていたあの頃、就職して価値あるわたしを装っていたあの頃。
そしていま、最高に『無能な自分』とおつきあいをしています。
するとどうでしょう。
仕事も何もかも手放した今、不思議なことに外に対して余計なチカラの入らない取り組み方が出来ていることに気が付きました。
うまくやろうと思わない(そもそも能力がないのだから)、すごい人だと思われない(そもそもすごくないのだから)、知性的であろうとしない(そもそも無知なのだから)、
そんなふうにかなりフラットになってきました。
フラットな人に強いあこがれがあったのだけど、なるほど、こういうことか。
受け入れては手放しているのだな。
理屈は見えたぞ。
恒常的に受け入れと手放すを続けられるかといったら、それは修業が必要だけど。
なるほどな~なるほどな~。
断捨離の本質にわたしはたどり着いたんじゃない?
と思って軽く調べたら、まったくちがうようです。
インド人もびっくり。
「まぁ、死ぬわけじゃないし」にたどりつければこっちのもの。
あまり大騒ぎせず、楽しそうにくらしてみよう。
だれかおいしいステーキ食べさせてくれないかな~。
たのしくなれそうなんだけど。
あと来月の家賃も誰か払ってちょんまげ。