どうやって跳ぶの!

30を過ぎてるし無職だしどうすっかな

アイドルのあいしかた(休場もファンタジー)

アイドルが売っているのは、夢、じゃなくて、ファンタジー、だと思っています。

 

どちらも似たような言葉なのでどっちでもいーっちゃいーんですけど(笑)。

でもわたし自身の中では「夢」という存在しなさそうなものより、

トーリーとして各々の胸の中に存在する「ファンタジー」である、

という付き合い方だと思っているのです。

 

ファンのたのしみ

稀勢の里関が休場したという話題を取り上げているワイドショーを見ました。

この話題をワイドショーでどう取りあげるかというと、「途中休場の可否について」となるようです。

わたし自身は相撲については、

明るく盛り上がれる話題があることにとてもいいことだな~と思っているくらいです。

けれど注目を浴びる横綱が2場所連続休場というのはいろいろ意見が飛びかう事態だそうだそうで、

一流ってたいへんだな~。

 

そのくらいの認識のわたしがなぜこんな話題をするかといいますと、番組内でのこの休場を巡ってのファンの声というまとめVTRのなかで、

 

「今から休場だなんてチケット代返してほしい!」

 

という文言があり、

単にムカついたからです。

 

・・・なんでそんなこと言うんだよ~~。

 

稀勢の里関のドラマティックな2場所優勝で、ふだん興味をもってなかった層もファンを名乗り始め、競技が盛りあがっていくのはとても素敵なことです。

にわかファン肯定派です。

ただ、ライトファンが増えると批判もかんたんにされがち。

わかっているけど、

やっぱり、やっぱり、

 

そういうこと言うなよ~。

 

他にも素晴らしい力士がいるだろ!とか、

ノーマークの力士がすごい取り組みするかもしれないじゃん!とか、

はたまた、そういう意見も横綱(プロ)となったら受け止めなければならない、とか

いろいろあるんですけど、

 

アイドルやタレントのファンになって誰かを応援するというということが好きな立場から言わせてもらうと、

「休場という出場をしているじゃん!」

という気持ちなのよ。。。

 

トーリーからのファンタジー

日本人独特の楽しみ方なのかなぁ、ストーリーごと愛するって。

お目当て(推し)のいない今日の取り組みを見ながら、

「今頃出場できなくて悔しがっているのかなぁ」とか

「この力士と戦っていたらどんな取り組みになっただろう」とか思いを巡らせたり、

はたまた「今日はどんなご飯を食べてるのかなぁ・・・」と思ってみたり。

 

見られるはずだった推しが見れなくなったら、そりゃあ残念だけど、

推しが愛してるものはどんなもんなのか(この場合は相撲)を肌で感じて追体験したり、

いろんなたのしみ方があると思いません?そーでしょ?ちがう!?

 

そーやっていくと、「ファン」と一括りにしても、みんな千差万別の愛し方をしていることがわかります。

みんなそれぞれがちがうたのしみ方で胸の中で遊ぶのです。

 

それぞれの胸の中にちがうその推しのストーリーがあって、

その中に「自分が落ち込んでいた時期に元気をもらった」等の別のストーリーが混ざり込み

人それぞれのファンタジーが作られて、

そのファンタジーを日々つくっては食べ、つくっては食べして満たされる。

そんなひとときの幸せをありがとう!と推しへの感謝を日々しつつ、

「もしもその感謝を直接言える時が来たら」という新たな妄想をつくっては食べ満たされる。

その繰り返し。

 

広い意味での「アイドル」のたのしみ方ってそういうものだと思うです。

もちろん興行を打った人は、その開いた穴の分、もっと面白くするというお仕事が必要になったりしますがそれまた別のお話で。

 

あと、これは意見が割れるかと思いますが、

わたしは「推しが裏でどういう人間でどういうことをしていてもかまわない」

と思っているタイプです。

こちらとしては、その人の人格までこちらの都合が良いぐあいに妄想しているので、

何かの拍子にちがう顔を見せられたらショックですけど、

それもまぁこちらの勝手なイメージに当てはめているだけだ、という認識は忘れないようにしています。

 

ファンのたしなみ

人を愛する線引ってむずかしいんだけど、

自分の愛し方まで推しに背負わすファンにはなりたくないよ~。

じぶんで選択して愛しているんだから相手にそのお返しを強要するファンにはなりたくないし、そういうファンは少なくあって欲しいと願います。

 

だいたい・・・稀勢関は引退したわけじゃないんだから・・・いいじゃんか!!!

という、SMAPオタクの叫び・・・(笑)!