人生は連続(2017/1/28)
喉が「和室の壁みたいだな」と頭の片隅で考えている。
なんだっけ名前、名前があった。土。いやちがう、砂。砂壁。すなかべ?
それから体が熱い。
特に頭が熱くて重い。
なんだっけこの感じ、知ってるこの感じ。
風邪。
あぁ、風邪だ。風邪引いたのか。
風邪ならこのまま眠り続けたほうがいいのではないか。
否、お日様が昇ったら目を覚ましたほうが、人間には良いはずだ。
いやいや、起きて何をする。どうせろくでもない日常が続くだけ。
何をするでもないのだから起きる必要はないのでは。
カーテンの隙間からは朝陽と言うよりは昼陽というのか、高い位置からの陽光が漏れ差している。
わたしは目下睡眠中だ。
睡眠中だと言うのに忙しく頭の中はフル回転している。
陽光を足元に感じながらベッドの上で起きるか起きないかをレム睡眠のさなか、脳は激しく討論を重ねている。
さしずめ朝まで脳会議。(チャーラーチャッチャラッチャー。どうも、田原総一朗です。)
身体中が察知したのは、どうも風邪を引いたらしいということだ。
あまりも体中が発しているご意見がうるさくて、ついに退席していた意識も目を覚ました。
「いつまでもベッドで寝ていてはだめだな」
さすがに自意識が大きく動き、まぶたを持ち上げ、そして体を起こした。
多分だが自意識は、スマートフォンのゲームアプリ、『どうぶつの森』をやらなければという強迫観念で起きたようだ。
窓に目をやると、本日も明るく気持ちのいい光が入ってきている。
さて、今日は何をしようか。
この瞬間だけは無敵だ。
どんなことでもできる気がする刹那。
しかし次の瞬間いつも悩ましい問題が起こる。
さて、どの段階で着替えるべきか。着替えるは面倒くさい。
シャワーは毎日浴びるべきか。お風呂場は寒いので面倒くさい。
朝ごはんどうするか。作るのや洗うのは面倒くさい。
掃除に洗濯、したいけど面倒くさい、やりたくない、やらないとダメな奴だから、やらなくては、面倒くさい、と、考える自分が情けない。
とりあえずベッドからは抜け出して、床に敷かれているマットに座ろう。
今年の年末は特に年末感が感じられない。
年が明ける準備は何ら出来ていない。
けれど明けてほしいとは思っている。
そういえば今日は今年最後の燃えるゴミの日だから昨日の深夜にしっかり出してきた。
おかげでやるべきことはやった感は、ある。
いろいろな問題は残っているけれど、今年出すべき燃えるゴミは出し終えた。
そんな気持ちにさせてもらえてゴミの日に感謝しなければいけない。
最近では、あんなに心の頼りにしていた占いも、興味が醒めてしまった。
『今週は吉報が舞いこむでしょう』
『今週は忙しくなりそうだから、意識的に息抜きしましょう』
どんな予報があっても、頑なにわたしの日々は凪だ。
悪いことではないけれど、占いが当たっていないということは間違いない。
ほぼ仕事をしてない、穏やかで貧しい生活。
結局自分の人生は自分で作らないといけないということである。
困ってしまう。
動物たちとまったりゆったりした生活を送るゲーム『どうぶつの森』をはじめて1ヶ月ほど経ち、現在レベルは55。
平均的に世の人々がどれくらいなのかは知らないが、わたしのレベルを告げると相手はだいたい大きな声で驚くのだ。
床に座ったまま、ブルーライトのことをぼんやり気にしながら、魚を釣るタイミングでスマホ画面を指で叩く。
このゲームはわたしにとってゆるくない。
お部屋のインテリアに凝っている人、お洋服に気をつけている人など人によっていろんなたのしみ方があるようだ。
わたしはといえば動物のお願いをひたすら聞いてまわり、必要なものを懸命に仕入れてまわり、感謝されてまわること。
そうやってレベルを上げていくこと。
全くゆるくない楽しみ方だなあと、ごろ寝の体制になりながらエアコンの効いた部屋でスマホ画面と格闘している。
さて、今日は何を食べようか。
起きるのが遅く、既に正午近くなってしまった。
お昼の情報番組『バイキング』にチャンネルを合わせながら、夕飯のことを考える。
最近は大根ばかり。
大根を炒めてばかりだけれど、今日は何にしよう。
風邪に効く夕飯について考えながら、考える面倒臭さに憂う。
「人生は決断の連続だ」
ほんとうに、人生はしょうもない決断ばかり。