ハローワークの時間(ごはんは誰かと一緒がたのしいって話)
大丈夫だったかな。
きのう書いたブログは、あんなんでよかったんかな。
低血圧のナオイは起床後、
ベッド下の床でもう30分突っ伏していなければ起き上がれないのです。
きのうの初投稿にドギマギしながら、二度寝。からの、おはようせかい。
ほんじつは最後のハローワーク認定日。
職業安定所の非日常感も、なんだかあとまわしにされてるような待ち時間も
やっと慣れてきたところだというのに、もう最終回か。さみしいな。
とかなんとか言って、家をでる時刻まであと一時間しか無いじゃない。
どうしてこう、わたしはいつもギリギリにならないと動き出せないのかしら。
早めに起きれば余裕があってクリーンな気持ちのまま支度して、
早めに着いて、優雅にカッフェのひとつでも楽しめるというのに。
わかっていることを自分でコントロールできないなんて、それなんて病名なのさ。
ダイエットも貯金も仕事も何もかも先送り。
そんなこんなで季節は巡ってあっというまにもう、
こんなトシだし、親もトシだし、「あなた」すらいないし
ねえ。
そんなことになりかねません。
動き出しのおそい自分につばを吐きながら慌ててシャワー、化粧、着替え。
ちゃんとしてる人っていうのは、いったいどんな朝を過ごしているのでしょうか。
できるだけゴロゴロしていたい私にとっては、24時間という一日の営業時間は短く感じてしまいます。
だいたいゴロゴロしていたら一日が終わっているのです。
だいたいやるべきことが出来ないまま終わるのです。
しかしそのくせ、1年を「あっという間だった」と感じなかったりもします。
7月に入り、「あと、半年か、みじかい!」とは思わないタイプなのです。
時をふりかえるときに、いつも、「あぁ毎日たくさんかんがえごとしたなぁ」と思います。
「ろくな生活してないけど、考え事だけはいっちょまえにたくさんしたなぁ、長い一年だった」と胸がぎゅむっとします。
ひとの時間の流れ方は人それぞれちがう説を信じているので、
同じ3分を長く感じている人は、実際に長い3分を経験し、
短く感じている人は、実際に一瞬の3分を経験しているのだとわたしは思っています。
どちらがいいということはなく、どちらもそういう経験なのだと。
ハローワークにはおもった以上に、色んなタイプの人々がいて、街の縮図です。
わかい人も年配の方も、ベビーカーを押したママもいろんな人達がそこにはいます。
でもあそこでは、みんなやんわり将来の『ふあん』を抱えているんだなぁ・・・。
人間のもつ『ふあん』というのは、できるだけ、甘辛く炒めておいしくいただきたいものです。
そして、それは心ゆるせる友人とともにできると何よりなのですが。
最終回のハローワークからのお手当がおもった以上にすくなくて、
はてさてわたしは今月生きていけるのかいな。
せかいはおかねじゃない
と声にだしてつぶやいてみたよ。