どうやって跳ぶの!

30を過ぎてるし無職だしどうすっかな

年頭の会話(2018/1/12)

今年の目標を聞かれた。

国民の年頭行事であるこの問いかけに、人々はどんな会話を成しているのだろう。

日本中の教室や会社、街角でお天気の話の代わりに他愛なく話されているんだろうか。

お台場のインスタ映え映えおっしゃーパンケーキにナイフを入れながら、わたしは女友達とこの話題にたどり着いた。

わたしはそういった定形の会話が昔からどうも苦手だった。

そんなひねりのない質問を口から出していいのだろうかと、なんともまあ難しい少女だだ。

考えすぎて挨拶も苦手だった。

「おはよう」

なんて、昨日も発したはずなのに。今日も同じセリフでいいのか・・・。

「おはよう」

と言うと、相手がこちらを向いて返事をするのも苦手だった。

他人に自分を認識してほしくなかった。

こんなにも自意識で体内が真っ赤になっているのに、他人に存在確認されたくないとは何事か。

思春期とは大変不可解なものだと思う。

理にかなわなくて、遠回りで、無秩序なのが思春期というものなのか。

 

話を戻そう。

わたしにはそんな思春期の頃から出来ないことが多すぎて、昔から目標が苦手だった。

 

ハードルの乗り越え方もわからないし、未来の約束もできない。

だから毎年『早寝早起き』的な叶ったところでどうしょうもない目標を、なんとなく紋切り型に準備しては3日で忘れていった。

または、『100万貯める』のような自分を相当に削らなければ達成できないものを掲げて苦しい思いをしてみたり。

下手だ。

前に進むのが下手なのだな。

だいたい振り返ってみると、「自分を削ることで生きてる気がする」という昭和のまやかしに捕らわれた古い思想の持ち主に違いなかった。

 

最近やっと前への進み方がわかって来たように思う。

なりたい未来を想像する。なりたい自分の性格をイメージする。取り囲んいてほしい人をイメージする。それに近い人になる練習をする。

やっと要領を得ましたですよ。

皆さんはいつそれを体得してきたのでしょうか。その辺に関しては、つくづく、もっとスポーツをしてくればよかったなぁと思ったりもする。

 

それを踏まえて。

わたしの今年の目標は「人の幸せを素直に喜べるようになる」です。

 

インスタ映えパンケーキについては、大量の生クリームに打ち勝てなかったのだけど、友人との年頭行事の会話に今年は無事答えることが出来た。

 

目標の日々達成率は、まだまだ半々といったところなのだが。