どうやって跳ぶの!

30を過ぎてるし無職だしどうすっかな

仕事の出来は二の次、うつ病ものりこえたことだし(しいたけ占いでいきのびる)

日付が変わってしましました。

昨日の夜から向き合っているわたしの唯一社会とつながっている業務、

「毎週企画書4つ出す」

がなんとか本日もおわりがみえてきた~~。

みえたぞ~~!

 

今までのわたしなら、

「こんなにがんばったのに、内容がどうしようもない。生きる価値がない」

とか思うところだけれど、

これほど自己啓発本やらネットの「あなたは価値がある」系の心屋なんたら系の文章を読みまくったわたしはちがうのである。

「たしかに仕事の中身は先輩方に遠くおよばないけれど、とりあえずなんとか今日ものりこえたねわたしちゃん」

である。

実際、書き上げた企画書をじぶんで眺めても、しょうもないな~と思っちゃうし、どこをダメ出しされるかもだいたいわかっているもんだ。

とはいっても、代案は思いつかない=アイデアの限界であり、これ以上よくすることはわたしにはできないのだよ!!

わたしの引き出し経験能力不足ではあるが、今回もよく向き合いました!

 

わたしも現代人の例に漏れず、鬱になったことがある。

うまく歩くことができない程度にうつ病にかかった。

これはほんとうに大変だった。

とにかく周りの人に迷惑かけることが怖いし、普通の人と同じように働きたいのに体が動かないのである。

ふりむくとか起き上がるとか、そういう動作が当たり前の体の動きができなくなった。

鬱なわけだからもともと死にたいのだけど、「死にたい」のは病気のせいだっていう意識はあるから、それはそれで自分の問題として対応しつつ、それとは別に同僚たちには迷惑かけたくない。

のに、うまく体が動かない、って言うか歩けない。

そんなことしてたら、同僚に嫌われちゃう、きっと既に嫌われてる!とかってまた堕ちていくのくりかえし。

 

結局、周りがみんな素晴らしい人々で、よくわかった上でお休みをくれたり、夜だけの勤務にしてくれたおかげで少しづつ良くなった。

うつ病はとにかく朝が弱くてトイレにいくのも一苦労、夕方になるとかなり良くなるのに)

もちろん休んだのが良かったのもあるけれど、それより周りがわかってくれたというのがとても症状を軽くするきっかけとなったようでした。

うつ病の人にぜったいNGの「がんばれ」とかは誰も言わないでいてくれたし。。。

 

いままでもよく「がんばりすぎ」とか「考え過ぎ」など人から言われることがあるけれど、

自分の「普通」をやっているだけだからそんなこと難しいことを言われても、

加減がまったくわからない、というのが本音でしたね。

 

ところが、その塩梅を、わかりやす~く説明してくれた人・・・いやキノコがいました。

 

今流行の「しいたけ」先生です。

 

voguegirl.jp

 

たしか「よく肩の力を抜きなよと言われるけど、言われるほど頑張ってないんだけどなと不思議に思ってしまいます。」「あなたは自己犠牲の優先順位が高いのです。普通は最後の手段なはずなのに、あなたは最初だから」

みたいなことが書いてあり、「なるほど~、そう言われると思い当たるフシあるな」と腑に落ちました。

友人に見せたら大きく頷いていたので、なるほど説得力あるぞ、と、しいたけ先生の大ファンになってしまったものです。

どうやらわたしの「頑張る」は方向が間違っているようでした。

 

自分の実力以上の結果を出そうするのはいいのだけれど、

できない自分をやたらと攻撃してはいけないようだと、今はわかります。

「他の人はできるのになんてだめなんだわたしは」

は、一瞬にすることにしています。

受け流しです。

断捨離です。

 

そういうわけで、だめな企画書の諦め方でした。

ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

お料理ビギナーがお料理するということ(腹が減っては某)

しっかりたべれば福!

言い換えれば、腹が減っては大凶ということ。

戦もできなければたのしいこともできない。

 

成人する前後くらいまでは食べることが大好きで、

お菓子でもごはんでも、とにかくたべるものがあると嬉しくてしょうがなかったのだけど

大人になり、だんだん食事に対する興味がなくなってきています。

おいしいもの食べるよりは家でゴロゴロしていたいくらい。

興味がないから、食べようと思わない。

食べようとしないから常にお腹は減っている。

常に減っているから減ってない状態との違いがわからない。

そしてよい食事はお金がかかる。

そうなのですよ~。おかしでお腹を満たすほうが安いのです。

 

そんな一人暮らしをしていると、からだはわるい。

特に夏は必ず夏バテをする。

一日中頭が朦朧として気持ちわるい。

 

そんなふうに体が悪くなると心が悪くなる。

余裕がなくなってずっとムカついたり落ち込んだり。

カラダとココロとゴハンはつながっているのだ!!

 

すこし前にこの街に引っ越してきて、キッチンが少し広くなった。

家を出てから14年、自然とじぶんでお料理をしてみる気になっています。

はっきり言って自炊は安く上がらない。

だから節約とかそういうことでなく、なんかこう、生活、生活してるぞ!ということのためにやっています。

 

じつは今日、午前中はなんだか全然からだが動かなくて目はさめているのに起き上がれなかった。

きのう食事を全然しなかったからだなと、よくわかった。

ここのところくよくよしていたからじぶんでご飯を作っていなかったのだけど、

ひさしぶりにスーパーに行って、

野菜を買って

買ったばかりのイモ天をかじりながらお家に帰って、

トマトときゅうりと豆苗と豚肉切って

なんやかんやして

食べた!

台所ではちょっとの調理だというのに汗だくになりながらの自炊。

 

「いただきます」

「ごちそうさま」

じぶんで作ったお料理はやっぱりじわじわと満たされる感じ。

生きたごはんを食べると元気が出るもんだ。

 

お料理初心者には、

電子レンジで済むレシピとか切って焼くだけレシピとか

ネットやお料理アプリで先人の知恵をたくさんお借りすれば

なんとか続けられるもんです。

(クラシルさんありがたや~)

 

冬、寒くなってきたときには果たして台所に立つのだろうか・・・。

乞うご期待ですよ。

 

ブログの読み方(今も過去も訂正不可)

 

今日の食事はトーストを1枚たべたきりだと気がついてしまった。

もうすぐ日付が変わってしまう。

いや、ポテトチップス1袋とシュークリームも一つたべた。以上。

 

こうやって夏バテしていくのであろうな・・・。

 

1日中ブログの書き方を検索しまくってグッタリ。

ブログで日記を書くのはおりこうではないと聞く。

理屈はわかるのだけど、じゃわたしゃ何すればいいの、何書けばいいの、それ楽しいの。

 

どこぞの馬の骨の日記なんてはやらないのはわかっているけど、他に書くこともないし・・・。

それにわたし自身が専門ブログより日記ブログを見るほうが好きだということが大きいのです。

世の中の人はどんなことに面白がって、どんなことに嫌悪しているのか。

みなさんがどんな文体でメロディーを奏でているのか耳をすませて、それをBGMのように感じるのがわたしの好きななブログサーフィンです。

みなさん文章かくのじょうずやな~~。

 

じぶんの現在の環境に不安はやっぱりあるので、「フリーランス」や「無職」といったキーワードにその打開策をさがしてしまうところはありますが、

もちろん答えはそんなとこになくて、でもその人はどんなふうに生活しているのか

世の中にあるひとつのこたえを見させていただくのはとてもおべんきょうになります。

本を読む場合も、圧倒的に小説が多いタイプ。

だから、詳細なせつめいよりも、せいかつの中でぼんやり思ったことを訥々語っているほうがすきなのでしょうね。

 

みなさんはなんでブログ書いてるのかな~。

みなさんはなんでブログ読んでるのかな~。

 

それはやっぱ、楽しいからって理由なんだろな~。

 

情報が飛び交う時代にリテラシーを意識しすぎて善と悪をきっちりわけなきゃいけない感じになるのは嫌だから、

もうちょっと、

正義はみじんも見せずにあっけらかんとしていたいものです。

 

まだまだ発信をすることにおくびょう風をふかしていますが、

「わたしはこの世の中での決定事項だ」

と、何かの自己啓発本で言っていたので

根拠のない自信にしっかりむねを張りたいとおもいます。

 

ところで、さっき歯磨きしてるときに鏡の向こうのわたしが着ているTシャツに、Mシールが貼ってあることに気が付きましたよ。

GUのMサイズと表記してあるシール。

コンビニ言った時、わたしはMですって宣言して歩いていたことになるな。はずかしいな。

しかしこれも訂正のきかない決定事項か・・・。

 

 

 

断捨離の本質とは(しっかりたべれば福)

私の場合は一週間。

あなたはどのくらいでしょう。

3日?

その日の内?

もしやその場で?だとしたらうらやましいなぁ~。

わたしは少なくとも一週間はグズグズします。

なにかあった場合、その場ですぐ切り替えられるタイプではない方。

そのかわり最近は何故か一週間経つと急に力が抜けていくのです。

 

「なんとかなるよ」と口にしつつ

「どうするの?どうするの?もう終わりだ」と心のなかで大戦争。

それでも、どんなに空っぽでも「なんとかなる」と口にしないともっと深みにハマりそうで、必死に前向きなことばを拾っては組み合わせて、心と反対のことばを口から出すのくりかえし。

 

しかしながら、この世紀末感はさすがに既視感があるんだな~。

なんだかんだ齢30も少し過ぎますとどんな修羅場も新鮮味がなくなってくるもんです。

そう、あわてなくなります。

 

あとはあんまり一人で考えすぎるもんじゃない、という過去に手に入れた教訓も生きてきます。

ガッツリ自分の枠の中ではまり込んだら、できるだけ人に会っていろんな話をするといいもんです。

だから他愛のないはなしができる友人は宝。さいきんは身に染みて感じます。

 

あーほんと、お金ない。

だけど、会社にがんじがらめになっている友人からは、わたしが羨ましく見えるようだし、角度によってほんと見え方が違うから、別の「眼」って本当に面白い。

 

ものづくりに没頭して個性至上主義だったあの頃、フリーターの自分にプライドを持っていたあの頃、就職して価値あるわたしを装っていたあの頃。

そしていま、最高に『無能な自分』とおつきあいをしています。

するとどうでしょう。

仕事も何もかも手放した今、不思議なことに外に対して余計なチカラの入らない取り組み方が出来ていることに気が付きました。

 

うまくやろうと思わない(そもそも能力がないのだから)、すごい人だと思われない(そもそもすごくないのだから)、知性的であろうとしない(そもそも無知なのだから)、

そんなふうにかなりフラットになってきました。

フラットな人に強いあこがれがあったのだけど、なるほど、こういうことか。

受け入れては手放しているのだな。

理屈は見えたぞ。

恒常的に受け入れと手放すを続けられるかといったら、それは修業が必要だけど。

 

なるほどな~なるほどな~。

断捨離の本質にわたしはたどり着いたんじゃない?

と思って軽く調べたら、まったくちがうようです。

インド人もびっくり。

 

「まぁ、死ぬわけじゃないし」にたどりつければこっちのもの。

 

あまり大騒ぎせず、楽しそうにくらしてみよう。

 

だれかおいしいステーキ食べさせてくれないかな~。

たのしくなれそうなんだけど。

あと来月の家賃も誰か払ってちょんまげ。

 

 

ハローワークの時間(ごはんは誰かと一緒がたのしいって話)

 

大丈夫だったかな。

きのう書いたブログは、あんなんでよかったんかな。

 

低血圧のナオイは起床後、

ベッド下の床でもう30分突っ伏していなければ起き上がれないのです。

きのうの初投稿にドギマギしながら、二度寝。からの、おはようせかい。

 

ほんじつは最後のハローワーク認定日。

職業安定所の非日常感も、なんだかあとまわしにされてるような待ち時間も

やっと慣れてきたところだというのに、もう最終回か。さみしいな。

 

とかなんとか言って、家をでる時刻まであと一時間しか無いじゃない。

どうしてこう、わたしはいつもギリギリにならないと動き出せないのかしら。

早めに起きれば余裕があってクリーンな気持ちのまま支度して、

早めに着いて、優雅にカッフェのひとつでも楽しめるというのに。

 

わかっていることを自分でコントロールできないなんて、それなんて病名なのさ。

ダイエットも貯金も仕事も何もかも先送り。

そんなこんなで季節は巡ってあっというまにもう、

こんなトシだし、親もトシだし、「あなた」すらいないし

ねえ。

 

そんなことになりかねません。

 

動き出しのおそい自分につばを吐きながら慌ててシャワー、化粧、着替え。

ちゃんとしてる人っていうのは、いったいどんな朝を過ごしているのでしょうか。

 

できるだけゴロゴロしていたい私にとっては、24時間という一日の営業時間は短く感じてしまいます。

だいたいゴロゴロしていたら一日が終わっているのです。

だいたいやるべきことが出来ないまま終わるのです。

 

しかしそのくせ、1年を「あっという間だった」と感じなかったりもします。

7月に入り、「あと、半年か、みじかい!」とは思わないタイプなのです。

 

時をふりかえるときに、いつも、「あぁ毎日たくさんかんがえごとしたなぁ」と思います。

「ろくな生活してないけど、考え事だけはいっちょまえにたくさんしたなぁ、長い一年だった」と胸がぎゅむっとします。

 

ひとの時間の流れ方は人それぞれちがう説を信じているので、

同じ3分を長く感じている人は、実際に長い3分を経験し、

短く感じている人は、実際に一瞬の3分を経験しているのだとわたしは思っています。

 

どちらがいいということはなく、どちらもそういう経験なのだと。

 

 

ハローワークにはおもった以上に、色んなタイプの人々がいて、街の縮図です。

わかい人も年配の方も、ベビーカーを押したママもいろんな人達がそこにはいます。

でもあそこでは、みんなやんわり将来の『ふあん』を抱えているんだなぁ・・・。

 

人間のもつ『ふあん』というのは、できるだけ、甘辛く炒めておいしくいただきたいものです。

そして、それは心ゆるせる友人とともにできると何よりなのですが。

 

 

最終回のハローワークからのお手当がおもった以上にすくなくて、

はてさてわたしは今月生きていけるのかいな。

 

 

せかいはおかねじゃない

 

と声にだしてつぶやいてみたよ。

 

ブログって跳べる!?(笑っていいともの夢を見ながら)

 

 

小さな空が曖昧に返事します。

「なんとかなるよ」

「しっかりしなよ」

 

ベランダから隠れるようにこっそりタバコを吸っていると、眼上に広がる神様はやんわりわたしにはなしかけてきます。

今日の神様はカフェラテを混ぜたときのような少しくぐもったマーブル模様でした。 

 

 

勤めていた会社が解散になって数ヶ月。

友人と始めたプロジェクトも私だけエンスト。

 

「参りました」

テレビではどこかの中学生が連勝ストップとやらで頭を下げています。

「参りました」

私もまねして頭を下げてみたけれど、、、

この試合はまだまだ終わりそうにありません。

 

神様、わたし詰みました。

詰みましたよ~。

人生。

じんせいっていつから試合??

 

 

このままではとうぶん収入はないし、

うだつは上がらないし、

明るいキャラクターを装っているけれどそれもいつまで続けられるかしら。

 

どうにかなる。

どうすればどうにかなる。

どうやったら、跳べる?

 

 

なんてそのくせ

この期に及んでも、「怠けたい!!!」と思っている。

この期に及んでもまだ「働きたくない!!!」と內心叫んでいる。

「がんばろう」って微塵も思ってないのです。

 

 

はたらく暇があったらテレビを見ていたい。

お笑いのライブに行きたいし、

かわいい男の子とデートするゆめを見たい。

お友達にそんな欲求をせつめいしては大笑いされたり、困ったねぇと会議していたい。

 

どうしよう。

おとななのに。

去年は会社員だったから、税金だってそれなりだ。

 

 

来週に生き方の相談を聞いてくれるともだちから届いたラインには

はてブ登録しといて」との文字。

はい。

調べます。

登録します。

ブログってやつですね。

ブログってなんなのだろう。

ブログって、跳べるの?

 

 

今日はついに扇風機を出しました。

コイケヤの『秘伝濃厚のり塩』をぺろりと1袋食べきりました。

やっぱりちょっと幸せだった今日。

だけどいいとも増刊号があればもう少しハッピーだのに。

 

 

自分の人生に何がしたいかわからない、

わからないけどちょっと書いてみたいかもしれない。

使い方もさっぱりわからないけど、、、

はてブ登録ついでだ。

 

ブログ始めてみます。